店長日記
東日本大震災3.11
あの日から何年の月日が経ったのだろう。 日常であることが当たり前でなく、食べること、街頭の明かり、水道から流れる水にも感謝した出来事。 それが自分の東日本大震災。 コンビニの蝋燭や懐中電灯も売り切れ、真っ暗の中、寒さを凌ぐために毛布を頭から被り過ごし、断水のためにトイレの水を流せないため、食べるものも飲むことも我慢し。携帯が充電できないため、誰とも連絡もできず。 社会から遮断された気持ちにさえなり、明日が不安でならなかった。 誰もが予測できなかった災害のレベル。 自然の事象を100%予想なんて不可能だと知った。 幸いなことに、母が心配性で多少の備蓄はあり、5日はやり過ごせた。 仙台の人は宮城県沖地震の経験からか備蓄をする人間は他の地域より多い気がする。ただ、実際は5日分では足らず、スーパーに朝から並び、一人3点までの買い物が命綱。災害ボランテイアは地震の被害が一番ひどい地域にしか行かず、家があり、だけどライフラインが遮断された地域には回ってこない。 これが現実。 備蓄は家族や自分を守る大切なこと。
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